「誤差ゼロ」の誇りと、現場3か月目の葛藤(施工の神様より)

施工の神様

今の現場に来て3か月が経過した。

3か月も経つと、現場の元請けゼネコンの方針や、彼らが持っている常識のようなものが、大よそ分かってくる。

私はこの現場で、現場の施工管理、工程管理、若手指導、そして毎日の図面付き工事日報の作成などを担当しているが、元請けゼネコンと長年付き合いのあるサブコンの持っている常識と、自分の常識とのバランスのズレを考えないと、上手くいかない。

その常識の違いの見極めは難しいところで、理屈だけ主張しても決して賛同は得られない。なのでまずは、建築の施工管理の仕事をやるときは、日本全国どこに行っても、公共工事の一番厳しい取り決めを基準にしている。
しかし、その中には「何もそこまで厳しくしなくてもいいじゃないか!」と思われることもあり、私自身も、何が何でも全ての現場で、その厳しい基準を全て適用すべきだとは思っていない。

公共工事と民間工事

例えば、ここの現場は公共工事ではなく完全な民間工事なので、様々な建築資材の受け入れ試験や検査などを、すべて公共工事の基準に則ってやるべきだとは思わない。民間工事であれば、可能な限り時間や手間を節約し、少しでも安く、早く工事を進めたい施工者側の気持ちはよく分かる。
しかし私自身、海外現場を含め様々なゼネコンの現場を体感し、その現場の事情、元請けゼネコンの思惑で要求される建築の品質や、施工手順が大幅に違うことを知っている。それゆえ、どうしても最初はどんな厳しい要求にも答えられる対応を前提で、考えておかなければいけないのだ。

それらの現場の基準や常識が分かってくるのが、大よそ3か月目くらいからで、大体はその時点から、面倒なことが起こり始める。

この面倒なことというのは、私の持っている常識とのズレの話だ。中でも一番辛いのは、「ここまでやらなきゃいけない!」と思われることを、中途半端な施工や検査などで終わらせてしまい、「ここまでレベルを落とさなきゃいけないのか・・・。」とガックリしながら現場を見る時だ。残念ながら、実際そんな現場は多い。

レベルを落とすのは楽だ

レベルを落とした施工管理に終始すれば確かに楽ではあるが、それをやってしまえば自分自身のレベルが下がってしまう。しかし現実には、自分の意に反してやむなくそうせざるを得ない場合も多い。

本来やるべきことを、「ちゃんとやろう!」と主張しても、「民間工事なんだから、多少の省略はいいんだ。しかも設計監理者も身内なんだから、後で同意を得たことにすれば、何も問題ない。余分な手間暇掛ける必要はない!」と、拡大解釈に拡大解釈を重ねる声。

挙句の果てに「余分なことに時間掛けるのは得策じゃない!」と言われてしまえば、ちゃんとやろうなどという主張は一人浮き上がるばかりだ。賛同者などだれ一人おらず、当然の如く意見は却下される。

確かに、そのためには時間と手間が掛かるのは本当で、全く費用が掛からないと言ったら噓になる。が、こんなことが続くと、私もいい加減嫌になってくるのが正直な気持ちだ。「あ~!そうですか!!」と長いモノ巻かれるだけならまだいい。間違ってる主張を繰り返し、それに同意を強要するような社員には、どう転んでも一緒に仕事する気になれない。

特に、自分の中でそんな誤魔化しを続けていくと、プスプスと不完全燃焼の火種がくすぶり始め、ドンドン火種が大きくなり、炎が大きくなり、それが何かをきっかけに一気にメラメラと音を立てて燃え上がる。そうなったら、もうその組織には居られない。今まで、そんな思いで辞めたゼネコンは数社在る。

例えば、鉄骨工事にて

例えば、鉄骨工事のコンクリート基礎の上にセットするベースプレートは、小さくて全部隠れてしまう地味な部分だが、非常に大切なところである。無収縮モルタルが支える鉄骨ベースプレートの高さをいかに正確に造っておくかが、鉄骨造の出来に大いに影響してくる。この高さがいい加減だと、例え10ミリの違いでも、各階の階高、階段、屋根、開口部のみならず、鉄骨建て方の際に無理にボルトで繋げることが多くなる。そうなれば、鉄骨工事に余分な時間と手間が掛かり、外壁の納まりなどにも影響し、結局は建物全体の品質に影響する。

それゆえ、私は支持部の無収縮モルタルの、俗に「まんじゅう」と言われてる天端の誤差は、ゼロで行くべきだと主張した。「ゼロ」の誤差で測っても、人間の目の誤差はどうしても1、2ミリ出てくる。したがって、図面に載ってるような「誤差±2ミリ」でやったら、その倍の誤差が起こり得る。私はここをかなり声を大にして主張し、「図面通りに誤差を認めるべきだ!」などという声も一蹴した。

今、鉄骨建て方が進んでいるが、誰も気付いてもいないのだろう。スムーズに鉄骨建て方が進んでいるのは、この「誤差ゼロ」で苦労してやってくれた作業員のお陰だと言える。

実は、この「誤差ゼロ」とは別に、私が主張したことがまだある。無収縮モルタルの強度試験と、隙間を埋めるために流し込むグラウト材の滴下試験を、是非やりましょうと伝えた。しかし、これは見事に却下された。「公共工事でもないし、そんなことやるの聞いたことが無い。」などと言われ、「それは貴方が聞いたことないだけでしょ?」と言いかけたが、飲み込んだ。私の主張である「天端の誤差ゼロ」が最優先で、それが通っただけで良しとした訳だ。

節目

私の場合、一つのゼネコンに属するのは、平均すると18カ月位だろう。そして、3カ月も経てば、この現場で何か新しいことを学べるかどうかの判断がおおよそつく。新たに学べるものが無くても、普通に仕事が出来る場所であれば与えられた役割をこなしながら居ることは可能だ。だが、その場合は金のためだけに働くようになってくる。それは私には、徐々に苦痛になってくる。「そりゃ贅沢ってもんだよ!」という意見もよく分かるが、私だって結構我慢する。私なりに、そのゼネコンの組織の中の魅力的な部分を探すよう務めているつもりだが、結局、私は白いものを黒とは言えない。

さて、今私の居るゼネコンとの約束は最初から一年の約束だ。今の印象だと、その位がちょうどいいだろう。

 

施工の神様

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