皆さんこんにちは。
エンタです。
転職や就職でその仕事誰の為??
って思った事が多々あったので書いてみようかと思い考えて見ました。
「法面業界で生きる」という選択
法面と向き合い、崖と格闘し、天候に左右されながらも現場に立ち続ける我々。
これが、私が選んだ仕事――法面工。
俗に言うキタナイ・キケン・給料安い。
朝早くから出発し、現場に向かう途中にイロイロ思います。
ふとした瞬間に、、、、
この人生って、自分の“本当の”人生なんだろうか?
建設業に生きるって、選ばされたのか、選んだのか。
とりあえず食べられれば良いのか?
建設業は、その仕事は“やらされる仕事”?
「他にやることがなかったから」
「親方に声をかけられたから」
「手に職をつけたかったから」
「取りあえず」
「あの親方カッコよかった」
「友達に誘われた」
そんなきっかけで入ってきた人も多いと思います。
現場に立って年数が経つと、山の動き、斜面の表情、アンカーの張力、吹付けの質、現場の雰囲気、匂い――
なんだかんだ言ってもやり出したら「責任」を感じる瞬間がくる。
どうせならしっかりガッチリやるか!!って(そんな人メチャ多い)
“人の命”を支えている仕事
法面の向こうには、住宅がある。川がある、道がある。
通学路がある。大切な人達の生活がある。
私たちの仕事は、その裏側で静かに支えている。
誰にも気づかれない構造物。(超ひそかすぎて誰も気づかないw)
でも、崩れないという「当たり前」をつくっているのは、我々法面屋だ。
じゃあ、これは自分の人生なのか?
正直、答えは一つじゃない。
でも、こう思っている。
人のために汗をかくことを、
「誇り」や「責任」と思えるようになったら、
それはもう自分の人生なのかな?
法面業界の仕事(建設業)に誇りを持ってもいいんじゃない?
キツい。キタナイ。気づかれない。夏は暑い。冬は寒い。法面の漢字が読めない!!?
でも、誰かの「安全」と「未来」を支えている。
そんな仕事に、自分の人生を重ねてみるのも悪くない。
どちらかと言えば我々の業界は馬鹿にされやすい。
以前にどこかのサイトに書かれた底辺の仕事、
底辺が集まる業界と言われながらも、やり出したら結構楽しい!
実習生達も最初は家族の為に仕事しつつも、卒業付近(3年目)になるとこの仕事楽しい!
この仕事を続けていきたい。と言ってくれる。
そして、給料高い!って最後に言うwそれも1つの理由でいいですよね。
法面に生きる人生。それは、十分に“自分の人生”だよなー
他人の人生ではないないですよね。
自分で決めて自分でやり出した。
最初の理由はどうであれ、今はそれなりに楽しい。
どうせなら楽しい仕事、辛い事があっても仕事自体は楽しい。
人間関係はどの仕事でも一緒だからね。
自分の人生を法面屋として終焉させるつもりで法面屋やってます!
それではまた。