建設現場から干された私
とある現場で、主任技術者として大きなミスをした私は、工事完了後、数か月の自宅謹慎をしていた。
謹慎期間を終え、職場復帰をしたのだが、一躍時の人となってしまった私は、社内全員に名前が知れ渡り、問題児扱いをされ始めた。
担当技術者としての現場への派遣は頑なに拒まれ、行く現場もなく、毎日、社内で会議資料の作成、現場安全パトロールの同行、役員の運転手ぐらいで、完全に建設現場から干されていた。
数か月後、やっと新しい現場が決まる
現場から干されて数か月。経験のなかった空港工事の下請けでの派遣がやっと…決まった。
その現場は24時間施工で、日中は単体のPPC版搬入とPPC版を3枚に接合する作業、夜間は550tのオールテレーンクレーンによるPPC版敷設作業の2交代制だった。
最初は、日中作業を担当
配属されたばかりの頃は、日中作業を担当することになった。主に施工管理を任されていたが、人手が足りない時には作業の手伝いをしたり、フォークリフトで材料の段取りもしたりした。
土日祝休みで、雨の日も作業ができないため休みになるが、24時間施工の現場だったため好待遇だった。その頃は、割と時間にも余裕があり、2級土木施工管理技士の試験勉強も十分にできた。結果は見事合格。
さらに、現場で必要となる車両系建設機械やフォークリフト、ローラー、大型特殊免許、大型自動車免許と型枠作業主任者、足場作業主任者、コンクリート橋架設作業主任者などの資格も会社負担で取りに行かせてくれ、充実した時間を過ごしていた。
後半は、夜間作業を担当
現場に入ってしばらくすると、夜間作業を担当することになった。
夜間は、日中に施工したPPC版を3枚に接合したものをトランスポータにて搬入して、既設版を550tオールテレーンクレーンにて吊り上げ、PPC版を3枚に接合したものと入れ替える作業だった。
既設版にはクラックが入っていて、吊り上げたら割れたり、吊り上げられない場面が多々あり、難しい作業も多かった。
作業に頭を悩ませていると、当時の所長(主任技術者)が「ファントムどうするんな」と気にかけ、声をかけてくれた。
「大きいものはナイロンスをどうにか通して、550tオールテレーンクレーンで吊ります。できなければ、0.8m3のブレーカで小割にしてダンプで無理くり運ぶ。時間はタイトですが、どうにかなります。」
そう所長に答え、結局、自分が0.8m3のブレーカに乗り、小割にして0.4m3でダンプに積込みをして、何とか敷設までの時間に間に合わせたのだった。
所長から言われた一言
そんなある日、事務所で所長と2人になることがあった。すると、所長が私に向かってこう話し出した。
「ファントムは職人気質だな」
理由を聞くと、「黙々と作業していたり、現場で発生した問題を経験と知識だけで乗り切ったところ。私だけだったら、焦って何もできなかったと思う。ファントムは鬱なんかではない。ただ、前の現場ではファントムだけに責任を押し付けて、責任を取らされただけ。周りの人間に恵まれていなかっただけだ。それが査定に響いて、花形の仕事から離れただけ。運が悪かっただけだ」と。
こんなことを言ってくれる人はいなかったので、単純に嬉しかったし救われた。所長に言われるまで、全部自分の責任だと思い詰めてしまっていたが、優しい言葉をかけてもらえたことで、少し気持ちが楽になった。
自分という技術者を認めてもらうために
一緒に仕事をするということは、仕事さえできればいいわけではなく、コミュニケーションを取ったり、飲み会などに参加して自分という人物をみんなに知ってもらう必要がある。ファントムという技術者と、これからも一緒に仕事をしたいと思ってもらえるような信頼関係を作らなければいけない、と今回の件で改めて感じた。
また、時として、上司に媚びを売ることも、自分をアピールする方法の一つなのかもしれない。上司に媚びを売ることで評価も上がり、出世して給料も上がる。それが世の常だと思ったら、会社や上司に反論することもしなくなり、最近では承認しかしなくなった。
上に対してもそうだが、部下に対してもそうだ。否定や反論をせず、承認してあげることによって、部下たちも仕事を楽しくやってくれるようになった。結局、厳しく指導するなどの教育法もあるが、承認してあげる(褒める)教育方法が一番いいのではないかと今は感じている。