
人間にも経年劣化は当然起きる。
私は今年72歳になるが、心身ともに変化していくのは当たり前だと思っている。ただそれが悪いことばかりかというとそうでもなくて、経験が積み重なってきた分、いいこともあるはずだ。
肉体的には、歩く速度が以前より少し遅くなったかな、と感じることはある。具体的に疲れて困った、というほどのことはまだないが、睡眠や食事には以前よりちょっと気を使うようにしている。
劣化の兆候がいつ表に出てきてもおかしくない年齢だ。まあ、自然体でいくしかないし、なるようになるさ、という開き直りも大事だと思っている。
3か月ほど経った今の現場でも施工管理、建築図の確認、施工図の作成、要領書のチェック、現場日報と添付図面の作成、そういった業務を毎日こなしている。
もう少し突っ込んだところまで指示・指導しなきゃダメだろ、と物足りなさを感じることは多い。それでも自分に与えられた役割はそこそここなせていると思う。
こうして自分自身のことをあれこれ考えてしまうのも、半ば無意識のうちに何かしら変化を感じ取っているからかもしれない。
同年代でまだ現役で頑張っている人もいる。一方で、建築の第一線から退く決意をした人もいる。
「体力に自信がなくなったから」、「仕事の依頼が来なくなったから」、中には「もういいかな」、というシンプルな理由の人もいる。
私自身は、求められる仕事を満足のいくレベルでこなせなくなって、妥協するようになったら引き際だと思っている。具体的にいうと、現場でピッと働く感知センサーが鈍くなったら潮時だ。
ピッという反応
施工管理の仕事をしている人なら分かると思うが、現場に出てグルッと見渡したとき、目に入る情報にピッと反応する箇所が出てくる。
この感度は人によってかなり違う。同じ状況を見ても、何をどう感じて、本来どうあるべきかまで頭に浮かぶ人と、何も浮かばない人がいる。
経験や知識の差が大きいのはたしかだが、鋭く反応できる人に共通しているのは、自分の中の反応を大切にして、信じてあげられる人だということだ。
その反応は、今までの経験や知識が潜在意識の中に取り込まれたものが、目から入った情報に応えている。だからこそ大事にして、尊重しなければいけない。このピッという反応が鈍くなったり、なくなったりしたら、自分の思う質を保つのは難しくなる。
感覚を育てる
若い人には、目で見て、耳で聞いて、手で触って、脳の引き出しをたくさん持つことを心がけてほしい。
そのためには、入ってきた情報に対して良いか悪いかの判断をつける癖をつけることだ。これでいいのか?おかしくないか?そう感じたら理由を考える。分からなければ誰かに聞く。納得いくまで自分で調べる。
半分以上はその場で解決できない。散々調べても全然分からなかった、ということも多いだろう。
でも、解決できなかったことも分からなかったことも、全部脳の引き出しの中に残っている。ふとしたときに頭に浮かんだり、新たな考えが出てきたり、それがセンサーの働きになって表に出てくるんじゃないか、と私は思っている。
基本はあくまで自分で考えることだ。人工知能がどうのこうのは一つの参考意見にすぎない。大切なのは人と向き合い、会話を通じて学ぶことで、現場の職人から得られる話は施工管理者にとって本当に有益だ。
いつか答えが目に浮かぶ
中には自分の意見と対立する話も出るが、それも貴重な情報だ。いろんな人が自分を基準に話をするので全部鵜呑みにしてはいけないが、いろんな考えを聞くことが自分の成長に役立つ。そうこうしているうちに、徐々に真実らしきものに近づいていく。
試行錯誤しながらさまよっている時期が一番つらい。いくら調べても聞いても何一つはっきりせず、調べれば調べるほど分からなくなる時期がある。ときには理屈なんか分からなくてもとにかく覚えればいいや、となることもある。でも、ここで諦めないことだ。そうすれば、いつか答えが目の前に浮かんでくる。
今の時代は、私が若い頃よりはるかに技術が進んで、覚えなければならないことも格段に多い。教えてくれる人もいない中で、ただ言われたことをこなすだけの日々が続くこともある。
私の見てきた限り、後に一流と呼ばれる人たちも、必ずこの時期を過ごして粘ってきた人たちだ。
まずは自分を信じて、自分が感じることを大切にしてほしい。これは何も、建築の世界の話だけじゃない。



