皆さんこんにちは。
エンタです。
東京オリンピックでメダルラッシュですね!!
たまたま昼間みてたスケボー!!!
最高に良かったですね。
あまり興味ない私もちょっとグッと来ましたw
しかも、最年少記録更新で最近の若い子のめざましい活躍をみると嬉しくなります。
先日ある元請け監督と話していたんです。
監督の切り替わりってどこよ?的な話しを。
どう言う事かというと、どの辺で、何歳で、どんな現場でちゃんと監督を意識して一本立ち?出来る様になったか?って事です。
どこかにターニングポイントがあると思うんです。
どこかのタイミングでなんか変わった気がしませんでしたか?
今思えば分かると思うんですよね。過去にスイッチが入った瞬間があったと思うんです。
私は中越地震ですね。
山古志村に抜ける最初のトンネル開通緊急工事でした。
あの時に昼は法面とグラウンドアンカーで、夜は鉄筋挿入工。
途中で設計と積算、材料足らないときは東京までトラック乗って走っていって、給料そのままで笑えましたwww
しかも、最初は課長の応援って事で行ったんです。
静岡の修善寺で元請けの代理人で行ったにも関わらず施工計画出してさぁ施工するぞって時に代理人変更w
忘れもしない思い出です。
新潟に行ったら1週間後に課長は次の現場が有るからと。。。w
そこから地獄の始まりだったはずなんですが、そういう時に限って良い人達と出会うんです。
今思えばもの凄く楽しい現場だったように思います。昼夜一人で管理していましたけどどこかでパンッと吹っ切れていましたね。
年末の雪の降る中にある業者がケツを割ったアンカー工の再施工をやったり、設計通りと言って井桁ブロックを撤去しようとし、それを止めて元請けと揉めたりいろんな事が一気に起きました。
(井桁ブロック撤去したことで上部が滑りまた別工事にw)
その工事が終わる頃には「あ、俺なんでも出来る気がする」って思っちゃいましたねw(まぁ若気の至りでもありますけどw)
皆さんにもあると思うんです。
どこかのキッカケで一気に何かが開けた瞬間が。
監督でも職人でもあると思うんです。
それを思い出してみて下さい。
そして、それ以前の自分を思い出して下さい。
私はクソレベルの小僧だったと思いますwww
(うちのばーちゃんは3回危篤で1回死んだことになったり、現場行くと会社を出てパチンコ屋に行ったり、仕事前の朝一ウエイクボード行って、現場行って、そのままサーフィン行ったり、雪山近ければスノボー三昧でした、平日でも)
今思えばメチャクチャでしたね。
それを踏まえて今の若い子を見て下さい。
今の若い子出来る子多いなぁって思えますよ?
いい子多い!
そうじゃ無い方もいますけど、昔よりは圧倒的にイイと思います。
あとはその彼らの変わるキッカケをどの様に与えていけるかが我々の仕事なんじゃないかなーって思うんです。
私らおっさんは次世代のキッカケを作りつつ、次世代で活躍する人材にシゲキを与える事も仕事です。
そうすればまた次の時代もまた楽しいと思います。
今思えばあの課長がくれたシゲキのお陰で今がある様な気がします。。。!?
それではまた。
P.S 今日のピクトグラム