実務経験ナシ、新米施工管理者に立ちはだかる壁
17年間、天職だと思って続けてきた大工職をあっさりと離職し、住宅の施工管理に移行した。「元職人=現場経験者」ということもあってか、入社初日からものすごいペースで仕事を与えられた。
最初の1週間はほぼ現場回りで会社の建物の見学と職人への挨拶、次の週は施工管理の仕事として、地縄の張り方、着工前の現場整備、GL測量、配筋チェック、構造チェック、内装チェック、室内外清掃、工程表の組み方、発注の仕方、中間検査や民間検査などの予約から、ほかにも覚えてないくらいの量の仕事をたった3週間で次から次へと叩き込まれた。
確かに現場経験はあったが施工管理のノウハウは皆無に等しく、「いや、待て。こんな短期間で全て頭になど入るわけがない(笑)」それが私の率直な意見であった。
3週間が経ち、その後どういう指令が上司から伝えられたかと言えば…
「これからは1人でどんどん動け!」
ええぇぇえええ?!これからは…とは?
巣立っていけという意味なのだろうか。もはや入社週間で言われる言葉では無い。その後はいわゆる放置プレイの始まりだ(笑)。自ら仕事を探さなければ毎日途方に暮れてしまいそうだ。
それから、しばらくはあてもなく人の現場へフラッといき、危険な箇所がないかのチェック、現場周りの掃除、10時と15時になれば職人と一緒に談笑をする日々が始まった。
施工管理経験も浅くやれることが少ないため、予想通りそんな日々は長続きしなかった。
「昨日もここ掃除したしなぁ」「危険な箇所もないしなぁ」
給料を貰う上で、人工計算を常に考えていた元職人の私の中では絶対に有り得ない状況なので、なんとかやることを探さなくてはという焦りから途方に暮れていた。
こだわることで見えてくる世界
同じような日々の繰り返しで、やっていることが無駄に感じる日々だったが、
「どうせやるならとことん細部までこだわって掃除をしてみよう」
ふいにそう思いたち、こんなところまで誰も見ていないだろ、と笑われるような場所を、時には這いつくばって、時には掃除用具を使いわけて、こだわってこだわって掃除をしてみた。
細部にまでこだわっていくと、不思議と建築物のおかしい納まり、キズ、釘の打ち忘れから、接着剤の付着、塗り壁のひび割れまで簡単に気付けるようになった。いつも通りと思って疑問にも感じなかった場所に、実は危険が潜んでいたり、クレームの元があるということに気付くことができたのだ。
思い返せば、大工を始めた頃は鑿(のみ)ばかり研がされていて、親方の使いっ走りかと不満に思ったこともあったが、続けることにより、研ぐ時の音、微妙な感覚や力加減、長期間同じ動作の中でも集中力を切らさないことなどが、実際造作する時には全てに通じて役にたった体験と、どこか繋がった感じがした。
現場管理に求められるのは、早い段階で異変に気づくこと、それに気づくためには基礎が無いといけない。その基礎は現場の掃除や整理整頓から培われていくのではないだろうか。
掃除をきちんとすることにより、神経を研ぎ澄ませ、注意力と集中力を高めていくことで、いつもと同じと思っていた所から違和感を見つけることが出来ると、この出来事から学んだ。
デキる男はまず行動で示す
施工管理者は現場に常にはり付いている必要は無いという考え方もあるが、いざ現場に来たなら職人以上に掃除や整理整頓を集中して行おう。手を汚さず腕を組んで進捗の様子を見にいくだけならば、それはそもそも現場管理ではない。
職人さんを信頼して任せながらも、自らも基本に忠実に整理整頓や掃除を行い、職人さんとのダブルチェックができて初めて、見落としてはならない所にきちんと気づけるようになる。持論になってしまうが、理想の施工管理者は半分は事務員、半分は職人という成分でできているということが私の思うところだ。
「これからはどんどん1人で動け!」と言い放った上司はどんな上司かといえば、朝礼で綺麗だったユニフォームは現場から帰ってくると泥と埃にまみれ、何も無かったかように疲れを見せず「お疲れ様!」といつも爽やかな顔をして戻ってくる。まさに半分職人を絵に書いたような人だ。
かつ、事務作業は速く、事務所からでも現場をしっかりと読み、次々と工程や発注の段取りを進め定時にはほぼ仕事を終えて帰るのだ。上司の放置プレイはまさに俺の背中を見て覚えよ!と言う職人流の教え方だが、その仕事ぶりは憧れを抱かざるをえない。
ある日、朝礼後に、「先輩は現場でどんな作業をしているのですか?」と尋ねたことがある。
先輩は一言「掃除だよ」とだけニッコリ答え、いつもと変わらず現場に向かっていくその背中はとても大きく見えた。この道何十年もやっている上司が今もなお、基本に忠実にやっている姿に、真の現場監督としての姿を見た瞬間だった。